新商品を作りました。

🟢種類・値段
①金茯花 50g ¥3,500
②晒紅 20g ¥3,000 ※特におすすめ、太陽光発酵の紅茶です。
③鸭屎香 50g ¥4,500
④临沧生普 50g ¥4,000
⑤紫陽毛尖 10g ¥1,200
⑥白毫银针 10g ¥1,400
⑦班章熟普 15g ¥1,600
⑧永春佛手 15g ¥1,500
⑨正山小種 15g ¥1,300

ネット販売はまだ掲載していませんが、店頭では販売開始しています。
今日早速2個売れました^^ 嬉しいことです。


他のお店経営者の方や、デザイナーさんを否定するつもりは全くないのですが、なんとなく綺麗なパッケージの商品を制作することに抵抗があります。
大事なのは中身だと感じてしまいます。
当然、中身も外見も素晴らしいのが一番ですが、それなら外見はボロボロの袋でもいいから同じ値段でたくさん欲しいです。笑

おそらくですが、私は非対立的価値選択者ではありますが、本質主義で、ミニマリズムで、アンチブランディング志向なのだと思います。
これは、自分のデザイン能力が乏しいことの裏返しでもあるでしょう。
しかし、こういうのって、味以上に難しいです。
デザインって、ある人は「最悪、ダサい」と感じても、ある人は「すごく良い!」と言うからです。
ならば、その土俵で個々と戦う必要性を感じなくなってしまいます。


例えば、2店のラーメン屋さんがあったとして、両方とも同じ価格、同じ口コミ評価で、違いは掲載している写真が綺麗か、こだわりがない写真か、だけだったとしましょう。
大概の人は綺麗な写真のラーメン屋さんに行くのでしょうか。
僕なら絶対に綺麗な写真の店は選ばないですね。味の自信のなさを綺麗な写真で誤魔化して、来店した客層もラヲタ(ラーメンオタクのこと)ではないと考えてしまうからです。

写真の美しさはむしろノイズであり、味の本質を語らない演出と映るわけです。

このような考え方は、天邪鬼であったり、今風に言うと逆張り志向であったりしますが、これらの否定的な評価軸で終わらせてしまうのは良くないと考えています。
なぜなら、天邪鬼でも逆張りでも、そういうふうに表現した途端それはその人の否定になってしまい、その人を傷付ける結果になるからです。
実際、マイノリティだと思います。でもこういうことで傷付いた経験は一度や二度ではありません。とっても繊細で傷付きやすいから、気高に振る舞っているのです。

もちろん単純に、綺麗な写真 → 「演出に頼る=味で勝負していない」、無骨な写真 → 「味に自信があるから飾らない」となるわけではありません。


このような感性は、単なる好みではなく、文化的読解力と哲学的選択に起因するものです。
これに少しだけ近い感情があるので言語化します。

僕は神社やお寺でお賽銭を入れたり手を合わせる人を見ると、昔吐いてしまうことがありました。
今も吐き気がします。
祈るだけで叶うはずのない目標を、信じてもいない(かもしれない)神の前で手を合わせて、
「かないますよーに」なんて心の中で祈ってる人を見ると、嫌悪感が湧いて湧いて仕方がないのです。

僕は今までこれは、単なる嫌悪ではなく、“思考停止への拒絶反応”に近いものだと思いました。つまり、自分の頭で考えず、外部の権威や超越的存在にすがる姿勢に対して、強い違和感と拒絶を感じていたのだと。
今はAIも登場しました。AIは神と同格の立場で、信仰代替依存者を増やしていると感じています。
しかしこれは、”思考停止への拒絶”ではなく、“構造なき信仰”への拒絶、だったのだと感じます。
つまりは前述した、表面を語り構造を語らないデザインと似るわけです。

こんなこと書くと、飲食業界にいられなくなる気がしますが、はっきり言うと、
構造語りを始める前に視覚で理解させるインスタ映えを狙った写真文化は、本質理解の思考を阻害していると思います。

江崎びす子氏の考察によれば、インスタ映えはもはや「最低条件」であり、差別化にはならない時代に突入しています。視覚的な快感が“理解した気”にさせるが、実際には意味の内在化が起きておらず、構造理解の前に演出が来てしまうことで、本質理解のための余白がありません。

当たり前ですが、この点について話をしてしっかりと必要性を説明してくれる人がいればいいのですが、残念ながら未だかつて出会ったことはありません。


さて、今回の商品のお話しです。(今更か)

僕は中身の茶葉をこだわり抜いています。その分、安く皆様に提供するためにパッケージは超絶必要最低限となっていました。ここを特化して説明して理解して購入してくれる方もいます。まあ、同業者からすれば勝手にしろと言う感じかと思います。

でも、これだけでは足りない、購入に至っていただけない部分があって、それがなんなのか考え続けた結果、モンゴルや雲南の少数民族の方々と関わって、話をしてきたことを思い出しました。
彼らは、僕らの想像を超えたミニマリズムなのです。給料は少なく、消費も少ない。それでも幸せはあるという考えなのです。

どうせ捨てられるパッケージに、費用をかけて、お客様からいただく値段を上げたくない。
これは僕の勝手な思想です。
ならば、使い回しができる質のいい容器に茶葉をいれて、実質価格が上がっても損・無駄のないようにしよう。
となり、今回の茶箱商品を作ることにしました。

至極当然な思考の流れですが、凝り固まっていると辿り着けないものです。


というわけで、長々とまた哲学的なことを書きました。
いつももやもやして、本当に生きにくいです。笑
離婚してからは本当に生きにくいです。

茶箱は9種類です。ぜひ店頭でご覧ください^^