こんにちは。世界樹の人です。
巷ではDXやらAIやら、あらゆる作業がどんどん最適化されていきます。
しかし、茶人たるもの機械に甘えず、自然と共に生き、利き手の手触りだけを信じて感覚を研ぎ澄ませていくことが大事だと思うわけです。
で、私はCopilot派だったのですが
最近ChatGPTに乗り換えようと思ったところ、何日か使ってみた感じ巷でいうほどChatGPTが優秀ではないように思えてきたわけです。私のAIの利用目的は、優先順位でいうとこんな感じです。
- 確定申告!(項目分類とか聞いたり、細かい税処理は法務関係を解説してほしい。これが一番利用頻度高い)
- Macbookの使い方解説(最近Macに乗り換えたが、これが良いのなんの。しかしWindowsとは使い勝手が違うので、使い方わからない時に教えてほしい)
- 各種法律関係、政治関係の気になったところを質問。
- 茶の知識でうろ覚えなところを質問
このくらいですね。
でもGPTは俺の名前を何度も間違って呼んだり、画像作ってもらっても出来がわるくて文字化けしまくってたりで、あんまりやなあ、、という感じです。みなさんAIで画像作ったってたまに仰ってますが、どうやって作ってるんでしょうか。無料なんでしょうか。
あんまり使いすぎると、調べるのが早くなるくらいならいいけど、思考能力が落ちる結果になりやしませんでしょうか。ステレオタイプが増えたら世の中面白くなくなってしまいますぜ。
AIに相談して参考にするのはいいですが、自己決定せず盲信する人にはうんざりすることが多いです。
大人でも影響を受けるものを、子供も自由に使うことができるような環境が、人間の成長にいいふうに働くとはなんとなくですが思えません。便利な世の中はいいのですが。。
理系出身で技術職をしていると、誰しもが定量思考が板につきすぎて、粗探しや細かい部分が気になってしまうと思います。それを「性格が悪い」と感じてしまう瞬間があるのですが、決してそうではないと思います。
そういう思考の連続をしていると、どんどん自分の性格が悪くなっていくような気がして、それも起業をした一つの理由でした。
しかし、逆に定量思考を放棄してAIを鵜呑みにするような人間にもなりたいとは思わない。ようはバランスですね。
定量思考も定性思考も全てはバランスのとれた人が最強なのです。
AIは“巨大な参考書”ではなく、“巨大な意見生成機”くらいだと教えないと、読解力のない年齢の人間や物事の良し悪しが理解できないような人間が扱うと 「AI=正しいもの」 となる気がします。
しかも何聞いても基本肯定意見しかでないので、AIで出てきた意見をさも自分で考えたことかのように喋るような、ステレオ人間が出来上がるわけです。もっと否定意見もズバズバいう設定とかにはできないのでしょうか。そうしたらターミネーターの世界観になるのでしょうか。
もうすぐ12月ですね。
もう一つの店舗「シューティングレンジJACKPOT」の方でも色々とあり、一難去ってまた一難の状況ですが、なんとかいろんな問題が解決した状態で新年を迎えることができそうです。
私程度の経営者でもどんどん難題が降ってくるので、大きい会社を経営している社長さんとかは毎日がもっと決断の連続なんでしょうね。
自分はその器ではないので、ゆっくりと生きていける方法を模索していければと思っています。
私は口癖のように知足を理解したいと言っていますが、この知足という言葉を目標にしすぎていて、それが本当に美しいものだと感じすぎていたように最近感じました。これは凝り固まった思考です。
知足ではなく、転足もありなのではないか、と思い始めました。
ようは、多軸で生きる自分を認め、2、3年単位の短いスパンで人生を区切って目標を達成していく生き方です。
もしかしたらそっちの方が向いているのかもしれません。流動型であるのに、静止型の幸せを追い求めて手が届かないわけです。
ここで大きな問題となるのが、アダルトチルドレン、ADHDです。
私はこれらの典型的なタイプに当てはまります。自己肯定感が一切なく、永遠に自分を責め続けています。おそらく何を達成しても認めてあげることはできないでしょう。
人の目や人の実績なんて気にする必要はありませんが、人と自分を比べる癖が心の奥底まで染み付いていて、びっくりするくらいこれが直りません。見た目上はそんなこと気にしていない風ですが、とても生きにくいです。
まずはこれをやめないと、知足も転足も成り立たないと思います。
しかしこれは、そういった人間の中では最も難しい問題です。自己肯定感をどのようにして得るか。
私は自分のことを客観的に見すぎて、常に自分も他人として、他人と他人を比較するかのように考えてしまいます。
鋼の錬金術師という漫画の最終回で、錬金術を失った主人公が家の屋根を手作業で修理している時に、ふと顔をあげると田舎風景が広がっているのが見えます。
そして「まあ、手間かかるのもいいもんだよな」と言うシーンがあります。
錬金術がなくても、AIがなくても、定量思考をしなくても、手間かかるのがいいものだと感じながら暮らせる。そんな場所でゆっくりと茶を淹れながら生きていきたいです。
