泡茶探味◾️第十六章:洗茶──捨てる一杯は文化理解の深度

茶館を経営していると、頻繁にこの茶葉は洗茶をした方がいいのかどうか聞かれる。
洗茶については、文化的背景も噛み合って少し複雑な問題となっている。

中国茶を淹れる場面で、最初の一杯を捨てる行為はごく自然に行われている。
「洗茶だから」「一杯目は飲まないものだから」
理由を問われることもなく、所作として定着している。

だが、この行為は本当に“必要な操作”か。あるいは、必要だと信じられてきただけか。

洗茶はしばしば、
「ほこりを落とすため」
「茶葉を起こすため」
「香りを引き出すため」
と説明される。

しかし、それらの説明は互いに曖昧に重なり合い、
何が事実で、何が慣習なのかは整理されないまま語られている。

とくに普洱茶や黒茶の世界では、
洗茶を前提にした泡茶が当たり前になっている一方で、
「本当に捨てる必要があるのか」
「成分的に見て、何が起きているのか」
という問いは、日本国内では意外なほど真面目に語られてこなかった。
中国国内では普洱茶研究所や大学研究機関を中心に、洗茶時の成分溶出や香気変化についての検討が行われている。
そこでは、洗茶は必ずしも“無害な前処理”ではないという指摘も出てきている。

一方で、洗茶には科学だけでは説明しきれない側面もある。
中国の衛生観念、流通事情、長期保存文化。
そして、茶を飲む前に身体と気持ちを切り替えるための、ひと呼吸。

この章では、洗茶という行為を「正しい/間違い」で裁くのではなく、何が起きているのかを分解して見ていく。

捨てられる一杯に本当に意味はあるのか。
あるとすれば、それはどこにあるのか。

Ⅰ|洗茶という行為の整理

1. 「洗茶」という言葉の曖昧さ

まず整理しておくべきなのは、「洗茶」は厳密な技術用語ではないという点だ。

中国語圏の泡茶現場では、「洗茶」「醒茶」「润茶」といった言葉が使われるが、 実際にはこれらは明確に区別されず、まとめて「洗茶」と呼ばれていることが多い。言葉の便利さが、行為の中身を曖昧にしている。

呼称中国語主に意図される意味
洗茶洗茶習慣的な前処理の総称
醒茶醒茶茶葉を起こす
润茶润茶茶葉を湿らせ均一化する

2. 実際に行われている操作

一般的に「洗茶」と呼ばれている操作は、次のようなものだ。

  • 高温の湯を茶葉に注ぐ
  • 抽出時間は数秒〜十数秒
  • 抽出液は飲まずに廃棄する

重要なのは、これは水で汚れを洗い流す行為ではないという点である。 実態は、一度目の抽出を意図的に捨てている操作であり、 この時点ですでに化学的な溶出を伴っている。

3. 中国の衛生観念と洗茶

洗茶が広く定着した背景には、中国の生活文化としての衛生観念がある。

  • 長距離流通・長期保存を前提とした食品文化
  • 口に入る前に一度整えるという感覚
  • 湯を通すことで安心する思考習慣

これは茶に限らず、食器に熱湯をかける行為や、 乾物・薬材を使う前の下処理とも共通している。 洗茶は、科学的な殺菌操作というより、 文化的な「安心の所作」として理解した方が実態に近い。

4. 「汚れているから洗う」という説明の危うさ

洗茶の理由としてよく挙げられる「ほこりを落とすため」という説明は直感的だが、 短時間の湯通しで洗浄できる量は限定的である。

それ以上に無視できないのは、 成分の溶出が同時に起きているという事実だ。 洗茶は、衛生的にきれいにする操作ではなく、 茶葉の状態と抽出条件を変える操作でもある。

5. この章での整理

  • 洗茶は明確に定義された単一行為ではない
  • 実態は「初回短時間抽出の廃棄」
  • 中国の衛生観念・生活文化が背景にある
  • 除塵と同時に成分溶出が起きている

この整理を踏まえ、次章では「除塵」という説明が どこまで妥当なのかを切り分けていく。

Ⅱ.「除塵」という説明──洗茶と衛生観念

洗茶の目的として、もっとも一般的に語られるのが「ほこりや汚れを落とすため」という説明である。 この説明は直感的で理解しやすいが、どこか説明として弱い。

そもそも、茶葉は本当に「洗わなければならないほど汚れている」のだろうか。 茶葉は製造工程の中で殺青や乾燥といった高温処理を経ており、食品として流通する以上、中国では国家標準(GB)の管理下に置かれている。 異物や不純物の許容量も規定されており、制度上は「不衛生なもの」として扱われているわけではない。

この点だけを見ても、洗茶を単純に衛生行為とみなすのは無理がある。

ここで視点を変える必要がある。
問題は「茶葉が汚れているかどうか」ではなく、中国において何が嫌われ、何が整えられる対象だったのかという点だ。

近代的な衛生観念が導入される以前、中国では「清潔」と「無菌」は必ずしも同義ではなかった。 重視されたのは、濁り、雑味、身体に入ったときの違和感、あるいは気の乱れといった、より感覚的な要素である。

洗茶という行為はその延長線上にある。それは物理的な塵埃を洗い流すというよりも、茶の状態を一度リセットし、次の抽出に向けて整える操作だったと考えた方が自然だ。

この点で、日本的な理解との間にズレが生じる。日本では「洗う=衛生」「洗わない=不潔」という対応関係が非常に強く、 その感覚をそのまま中国茶に当てはめると、洗茶もまた衛生目的として説明されがちになる。

しかし、普洱茶研究所を中心とした中国側の研究や議論を見ると、 洗茶の評価軸は明確に別のところに置かれている。 議論の焦点は次第に、次のような点に移っている。

  • 洗茶でどの成分が最初に流出するのか
  • 香気前駆体がどの段階で動き始めるのか
  • 茶葉が水を吸い始める初期挙動

ここでは、除塵効果そのものは副次的なものとして扱われることが多い。 洗茶は「清める行為」ではなく、抽出の初期条件を揃えるための前処理── そのように再定義されつつある。

この視点に立つと、洗茶は単なる作法でも衛生儀礼でもなく、 後続の抽出すべてに影響する重要な工程として立ち上がってくる。

Ⅲ.茶葉の「活性化」──洗茶で何が起きているのか

洗茶を「前処理」と捉えたとき、次に問題になるのは、その短い工程の中で茶葉に何が起きているのかという点である。 中国の研究文献では、この過程をまとめて「活性化(激活)」と表現することが多い。

活性化と言っても、何か特別な化学反応が起きているわけではない。 中心にあるのは、乾燥状態にあった茶葉が水と接触し、再び“動き始める”という、極めて物理的な変化である。

乾燥した茶葉は、内部構造が一時的に収縮した状態にある。 そこに高温の湯が触れることで、葉の表層から急速に吸水が始まり、細胞間隙が開いていく。 この過程で、茶葉内部では成分移動に必要な通路が徐々に回復していく。

洗茶が一煎目の抽出と決定的に異なるのは、この吸水が「味を取りに行く前」に行われる点にある。 短時間で湯を切ることで、茶葉は水を含むが、成分の溶出は最小限に抑えられる。 結果として、茶葉内部と外部の状態が均され、次の抽出に向けた準備が整う。

洗茶段階で起きている主な変化

  • 茶葉表層からの急速な吸水
  • 細胞間隙の再拡張
  • 成分移動経路の回復

この段階で重要なのは、「何が出るか」よりも「何がまだ出ていないか」である。 普洱茶研究所を中心とした議論では、洗茶時に流出する成分は限定的だとされている。

洗茶時と本抽出時の成分挙動の違い

段階主に動く成分特徴
洗茶低分子可溶性成分、芳香関連物質の一部香りの立ち上がりに影響、滋味の骨格は未形成
本抽出多酚類、可溶性多糖類など味の厚みと構造が現れる

このように見ると、洗茶は「成分を捨てる行為」ではない。 むしろ、後続の抽出で本来引き出したい成分が、より安定して、より均一に現れるための地ならしに近い。とはいえ茶葉によっても異なるのが難しいところだ。

活性化という言葉が使われる背景には、こうした理解がある。 茶葉は洗茶によって目覚め、抽出に応答できる状態へと戻される。 その状態をどう作るかが、その後の数煎すべてに影響してくる。

次に問題になるのは、では「どの程度」活性化させるのが適切なのかという点である。 時間、湯温、茶葉の圧縮度。 次章では、これらの条件が活性化の強度をどう左右するのかを整理していく。

Ⅳ.洗茶時間・湯温・圧縮度──活性化の強度はどう決まるか

洗茶を「活性化の操作」として捉えるなら、次に考えるべきなのは、その強度を何が決めているのかという点である。
同じ茶葉であっても、洗茶のやり方次第で、その後の抽出がまったく別物になる。この感覚は、経験的に多くの人が持っているはずだ。

活性化の強度を左右する要素は多いが、整理すると、中心になるのは次の三つに集約される。

活性化の強度を決める三要素

  • 洗茶にかける時間
  • 湯温
  • 茶葉の圧縮度

洗茶時間──「短い」の中にある差

洗茶は短時間で行う、という点自体は多くの流派で共通している。
しかし問題は、「短い」という言葉の中身だ。

数秒で即座に湯を切る場合と、十数秒置く場合とでは、茶葉が吸収する水量が異なる。
それに伴い、表層から動き始める成分の範囲も変わってくる。

ここで重要なのは、時間をかけすぎると「活性化」を越えて抽出に踏み込んでしまう一方、短すぎれば内部まで水が届かない、という両義性だ。
洗茶時間とは、単なる秒数ではなく、茶葉内部に水を通すための猶予時間だと考えた方が理解しやすい。

初手としては、とりあえず本当に一瞬の時間で湯通しするのが間違いはないだろう。

湯温──反応速度を決める要因

次に湯温。
洗茶を高温で行うか、やや落とすかによって、活性化の進み方は大きく変わる。

高温では、吸水速度が速く、茶葉の開きも早い。
一方で、低温では反応が穏やかになり、活性化も緩やかになる。

ここで誤解されやすいのは、「高温=強い、低温=弱い」という単純な図式だ。
実際には、どの段階でどの温度を与えるか、つまり順序の問題が大きい。
洗茶は単独で完結する工程ではなく、後続の抽出と連続して評価されるべき操作である。

また、中国では殺菌を目的とした洗茶は100度で行うことが多いが、温度ショックに弱い茶葉は避けるべきである。

洗茶の湯温で変わるもの

  • 吸水速度
  • 葉の開き方
  • 初期香気の立ち上がり

圧縮度──普洱茶で無視できない要素

三つ目が、茶葉の圧縮度である。
普洱茶において、この要素の影響は特に大きい。

緊圧された餅茶や磚茶では、湯が内部に到達するまでに時間がかかる。
そのため洗茶は、単なる準備ではなく、内部構造を解くための重要な工程になる。

一方、散茶や軽圧の茶では、洗茶一回で十分に活性化が進むことも多い。
同じ洗茶でも、圧縮度が違えば意味合いが変わる。

圧縮度による洗茶の役割差

  • 緊圧茶:内部への導水が主目的
  • 軽圧・散茶:状態調整が主目的

ここまで見てくると、洗茶に「正解の秒数」や「万能の温度」が存在しない理由がはっきりしてくる。
活性化とは、茶葉の状態に応じて調整される工程であり、固定化された作法ではない。

中国側の研究や実務的な議論でも、洗茶は独立した儀式ではなく、後続の抽出を見据えた連続操作の一部として扱われている。
洗茶をどう行うかは、その人が茶をどう引き出したいか、という意図そのものでもある。

次章では、こうした調整の違いが、香気や滋味の現れ方にどのような差を生むのかを見ていく。

Ⅴ.黒茶と普洱茶における「洗茶」の争点
──衛生処理か、抽出前操作か

洗茶をめぐる議論が最も錯綜するのが、黒茶、特に普洱茶を対象とした場合である。
勿論、この分野においても、洗茶を巡る議論は以下2点だ。

  • 衛生処理としての洗茶
  • 抽出前操作(活性化)としての洗茶

黒茶における「衛生としての洗茶」

黒茶は、製造後も長期間の保管・流通を前提とする茶である。
特に伝統的な流通環境では、裸状態での保管や人手による反復接触、湿度変動の大きい環境に置かれることが多い。

このため、洗茶は「埃や付着物を落とす」「念のため洗う」という生活的な衛生観念と結びついて理解されてきた。
ここで重要なのは、これは文化的・心理的な安心装置であり、必ずしも科学的なリスク評価と一致しているわけではない、という点である。

普洱茶研究所が整理する洗茶の位置づけ

普洱茶研究所を中心とする研究・技術者側の議論では、洗茶を単純な衛生処理として扱うことには慎重な立場が取られている。

研究側の基本的整理

  • 現行の製茶・流通基準を満たした茶葉において
  • 洗茶による衛生リスク低減効果を直接示すデータは限定的
  • 洗茶の主機能は汚れ除去では説明しきれない

その代わり、洗茶は次のような工程として整理されることが多い。

洗茶の主機能(研究所的整理)

  • 茶葉への初期給水
  • 圧縮構造の緩和
  • 後続抽出に向けた反応準備(活性化)

黒茶全般と普洱茶の決定的な違い

黒茶と普洱茶は同列に語られがちだが、洗茶においては明確な差がある。
それが茶葉の圧縮度である。

茶の形態洗茶の主目的
散茶・軽発酵黒茶状態確認・調整
緊圧普洱茶(餅茶・磚茶)内部への導水・構造緩和

緊圧された普洱茶では、洗茶を行わなければ内部まで湯が届かない。
この点で洗茶は、単なる準備ではなく、内部構造に介入する工程としての意味を持つ。

現場の「念のため洗う」という感覚と、研究側の「目的を分けて考えるべきだ」という整理。
争点の正体は、洗茶の是非ではなく、茶をどう理解しているかという認識の違いにある。


Ⅵ.まとめ
──洗茶は作法ではなく、判断である

洗茶は、普洱茶や黒茶において長く当然視されてきた操作である。
しかし、その目的を「洗うこと」に限定してしまうと、多くの現象が説明できなくなる。

中国側の研究や議論を踏まえると、洗茶は衛生儀礼ではなく、抽出前の条件設定であり、茶葉を活性化させるための操作として捉える方が整合的である。
洗茶とは、茶葉の状態を抽出に適した位置へ移動させるための初期操作にすぎない。

この視点に立つと、洗茶はすべての茶に等しく必要な作法ではないことも自然に理解できる。

例えば、烏龍茶や花香・果香を主とする香りの高い茶では、洗茶が必ずしも有効に働くとは限らない。
これらの茶では、揮発性の高い香気成分が抽出初期に集中しており、洗茶によってその立ち上がりを削いでしまう場合がある。
この条件においても洗うという選択をする場合は、それは中国の衛生環境を知るものが誰の手で触れられたものかわからないといういわゆる脅迫観念に近い理由での洗いとなる。

プーアールの古樹原料の場合、葉肉が厚いため、4、5煎目で最も美味しくなる様に調整しながら泡茶するものであり、1煎目は洗うついでに捨ててしまうという考えは非常に合理的である。

実際、中国の泡茶実務でも、軽焙煎の烏龍茶や高香タイプの茶では、洗茶を省略する、あるいは極めて短時間に留める例は少なくないし、かならず100度をかける人もいる。
ここでは「活性化」よりも、「初期香気を逃さないこと」が優先されつつも、洗いたいという観念が全面に出ている。

一方で、緊圧された普洱茶や後発酵の黒茶では、洗茶は不可欠な工程となりえる場合がある。
香りを引き出す以前に、内部へ水を通し、構造を緩める必要があるからだ。

つまり、洗茶を行うべきかどうかは、茶類によって決まるのではない。
茶葉の状態、香りの性質、そしてどの段階の表現を重視するかによって判断される。

洗茶をするか、しないか。
その選択は、正解と不正解の問題ではない。
その茶をどう味わいたいか、という意図の表明である。
決められた作法ではない。
茶葉と向き合い、抽出の方向性を定めるための、最初の判断である。