時間は本当に流れ方を変えるのか

こんにちは。世界樹の人です。
だいぶ寒くなってきましたね。
半年前から準備していた雅集も終え、ほっと一息ついたのも束の間。
再来週から中国で、色々考えなければならないこともまた増えてきました。

先日熱が出て、夜中に昔あった怖いことを夢で見たり、なんとなくクロノトリガーをやり直したりしているうちに、ずっとひっかかっていたタイムトラベルについて思考を巡らしていました。
なんとなく、アインシュタインの相対性理論は時間という難しい問題をぶつけて全て成立させたかのような、そんな哲学的なイメージが強い認識があったのです。

今回、それを腹にストンと落ちるまで考えたり、AIにまとめてもらったりしていました。
てかやっぱりクロノトリガーは面白い。

相対性理論と、科学が越えられない境界

1.時間について、もう一度考えてみる

1995年に発売されたクロノ・トリガーは言わずと知れた名作中の名作。
現代、中世、未来、古代、原始という異なる時代を行き来しながら、世界の歴史そのものに関わっていく物語です。
時間を移動することによって、過去の出来事が変わり、未来の姿も変わる。
ある時代で起きたことが、別の時代の人間の生き方や世界のあり方に影響を与える。
ちょいとネタバレですが、過去に行って先祖の性格を優しくすることで、未来のその家系の人たちが優しくなってアイテムをくれるという攻略法に当時は感動しました。

子どもの頃(といっても私の場合は初プレイは22歳)遊んだゲームを大人になってからやり直すと、当時とは違うところに目が向くこともあります。
時間というものをどう捉えるか、過去と現在と未来はどのようにつながっているのか、あるいは人間にとって時間とは何なのか。
クロノトリガーの中では、主人公たちは時空を超えること自体わりと倫理観もなくほいほいやっていて、なんなら死んだ人を生き返らせたりもする。もちろんゲームの世界なので突っ込む気はないが、このような感覚が面白いと感じた。

自分にもし、人生の根本的な転機があるとするなら、それはいつか。
ACの問題を解決していく過程で考えてきたことも、そもそもそれにならずに済んだタイミングもあったのでは。

バタフライエフェクトという映画も似たような事象があり、そもそもこういう思考が好きなのかもしれません。
バタフライエフェクトは一番好きな映画なので。

現実世界でもしタイムスリップをするなら、最も一番近い考え方となるのは、おそらくアインシュタインの相対性理論だと思います。速度が速くなると時間の進み方が遅くなる、重力が強い場所では時間の進み方が遅くなる、と説明されることが多い、アレです。これは一般向けの科学解説では、もはや常識のように扱われていますが、自分の言葉で説明できない以上私としては全く腑に落ちていません。

時計の進み方が変わることと、時間そのものの流れ方が変わることは、本当に同じなのだろうか。

アインシュタイン以降、世界中の優秀な研究者が検証し、理論を発展させ、現在の物理学の基礎としてきたものであるので、土木力学を学んだ程度の私が簡単に否定できるようなものではないのは分かっています。
むしろ、だからこそ理解したい。

有名な理論だから正しいと受け入れるのは私の主義ではない。常に真相を紐解く人間でいたいのです。
どういう観測があり、どういう論理を経て、その結論に至ったのかを知りたい。

物理学の問題は、あるところから哲学の問題に接続していくということは以前から感じていたが、今回改めてそう思いました。

2.時計が遅れることと、時間が遅れること

まず、疑問の出発点を整理します。
そもそもこれを私がわかるように説明してくれる人がいれば、話は半分以上終了するのですが。。

相対性理論では、相対的に高速で移動する時計は、別の観測者から見ると遅く進むとされています。
例えば、地上に時計Aがあり、宇宙船に時計Bが載っているとします。
宇宙船が非常に速い速度で移動し、地上に戻ってきたとき、時計Aと時計Bの表示が異なっています。
相対性理論では、これは宇宙船側で経過した時間が地上側より短かったためだと説明する。

これがぜーんぜん納得できない。
時計Bの進み方が遅くなった事実は分かる。
しかし、それは本当に時間が遅くなったことを意味するのか。

例えば、時計の内部には歯車や振り子、電子回路、原子の振動など、何らかの物理的な仕組みがあって、高速で移動したことで、その仕組みに何らかの変化が生じた可能性はないのか。

時計の機構が変化して、時計の進み方が遅くなっただけではないのか。
原子時計であっても、原子の振動を利用している以上、物理現象であることに変わりはない。原子時計だから時間そのものを直接測定している、と決めることは確証できない。

ここで重要なのは、次の二つを区別することだと思います。

一つは、時計という装置の動作が変化したという説明。

もう一つは、時計が存在する環境や運動状態によって、時計が刻む時間そのものが異なるという説明。

相対性理論は後者を採用しています。
しかし、後者の方が正しいと判断するには、前者のような別の説明をどこまで排除できているのかを確認する必要がありますが、これが全然ネット潜っても出てこない。

「時計が遅れた。だから時間が遅れた」

これだけでは、論理が一段飛んでいるように感じる。

3.相対性理論が説明する時間

特殊相対性理論は、1905年にアインシュタインが発表した理論です。
その基本には、二つの重要な原理があると、今回理解しました。
一つは、慣性系において物理法則は同じ形で成立するという相対性原理。
もう一つは、真空中の光の速さは、観測者の運動状態によらず一定であるという光速度不変の原理です。

そもそもここも腑に落ちない。
特に後者は、日常的な感覚からすると不思議すぎる。
おそらくここが肝だと思い、掘り下げていくことにしました。

例えば、時速100kmで走る列車の中から、進行方向に時速100kmでボールを投げれば、地上から見たボールの速度は時速200kmになる。

これは日常的な速度では成立する考え方で、小学生が速度の勉強で習う話です。
いわゆるニュートン力学の一部です。

しかし、相対性理論の光の場合はそうならない。
光源がどのように動いていても、観測者がどのように動いていても、真空中の光の速度は同じ値になるという。ほんまかいな。

この性質を前提にすると、時間や空間の測定について、従来の考え方を維持できなくなります。
この関係から、特殊相対性理論の時間の遅れを表す式が導かれています。

[\Delta t=\gamma\Delta \tau]

ここで、

[\gamma=\frac{1}{\sqrt{1-v^2/c^2}}]

です。

(v) は相対速度、(c) は光速度、(\Delta \tau) は観測者が測る時間、(\Delta t) は別の慣性系から見た時間であす。

速度が光速に近づくほど、(\gamma) は大きくなり、観測される時間の差も大きくなる。

まとめると、ニュートン力学と相対性理論ではこの状況における速さの計算式が違っていて、
日常生活で使う程度の速さの計算では前者で全く問題ないが、光の速さレベルになってくると前者では補正値をかけないといけなくなるため、相対性理論の↑の計算式を使う、というのが現在の物理学の基本となっているようです。
日常生活レベルの速さで上の計算式を使うと、0レベルの誤差が出ます。関数電卓叩いて確かめました。

ちなみに私はいまだに癖で、電卓は関数電卓じゃないと使いにくいです。

4.ミュー粒子の実験は何を証明したのか

相対性理論を支持する実験として、よく紹介されるものにミュー粒子の寿命測定があります。
理解するためにこれも掘り下げましたが、まだまだ腑に落ちません。

ミュー粒子は電子と同じレプトンの仲間で、静止した状態での平均寿命は約2.2マイクロ秒。
非常に短い時間で崩壊してしまう。

宇宙線が大気中の原子核に衝突すると、さまざまな二次粒子が生まれる。その中にはミュー粒子も含まれる。
ミュー粒子は光速に近い速度で地上に向かって飛んでくる。
本来なら、その寿命から考えて地上まで到達できないはずなのに、実際には地上でも大量に観測される。

相対性理論では、地上から見たミュー粒子の寿命が延びているためだと説明する。

この現象を人工的に調べた有名な実験が、1977年にCERNで行われたミュー粒子蓄積リングの実験です。
研究者たちは、円形の加速器にミュー粒子を蓄積し、その崩壊までの時間を測定した。静止状態での平均寿命が約2.197マイクロ秒であるのに対し、測定された寿命は正のミュー粒子で約64.419マイクロ秒、負のミュー粒子で約64.368マイクロ秒。

相対性理論が計算ででる値と非常によく一致しているとのこと。

引用先です。

Bailey et al., 1977, “Measurements of relativistic time dilatation for positive and negative muons in a circular orbit”

CERNの文献データベースにも論文情報が掲載されております。

この実験も、調べても全然腑に落ちなかった。それがなぜ時間が変わったと結論付けるのか。

ミュー粒子は円形の加速器の中を回っていて、円運動をしている以上、速度の方向は常に変化している。つまり、加速度がある。ミュー粒子の寿命が延びたのは、速度による時間の遅れではなく、加速度や円運動に伴う何らかの影響ではないのか。遠心力や加速によって、粒子の崩壊に関わる物理的な性質が変化している可能性はないのか。

剛体ではないので、通常の意味での慣性モーメントを持ち出すことは適切ではない気はしますが。
しかし、それは加速度が粒子の寿命に影響しないことの証明にはならんのでは。

「加速度や遠心力がが影響する仕組みは知られていない」
という説明と、
「加速度や遠心力が影響しないことが実験的に確かめられている」
という説明は、まったく違う。

5.原子時計なら、もっと確実なのか?

次にみたのが、原子時計の実験です。
原子時計は、原子が持つ特定のエネルギー準位間の遷移周波数を利用して時間を測定するもので、一般的な時計のように歯車が回るわけでも、振り子が揺れるわけでもない。
非常に安定した原子の性質を利用するため、現在の時間計測において極めて重要な役割を担っているようです。

1971年に、ハーフェレとキーティングが、セシウム原子時計を航空機に搭載して別速度で地球を一周させる実験を行っています。
時計を東回りと西回りで飛行させ、地上に置いた時計と比較したのです。

相対性理論では、航空機の速度による特殊相対論的な効果と、高度による重力の効果を合わせて、時計の進み方が変わると予測しており、実験結果では、東回りの時計は地上の時計に対して59ナノ秒遅れ、西回りの時計は273ナノ秒進んだ、とされています。

論文はこちら。

J. C. Hafele and R. E. Keating, 1972, “Around-the-World Atomic Clocks: Observed Relativistic Time Gains”

また、現在のGPS衛星にも相対論的な補正が必要になるというの見つけました。
衛星に搭載された原子時計は、地上の時計に対して速度の影響で遅れ、重力の影響で進む。
それらを合わせると、GPS衛星の時計は地上の時計より一日あたり約38マイクロ秒速く進むことになる。
この補正を行わなければ、測位に大きな誤差が生じてしまう。これも相対性理論。
NISTによる解説はこちら。

こうした実験や技術的な実績を見ると、相対性理論が単なる机上の仮説ではないということになっていることはわかる。

しかし、全然腑に落ちない。腹にストンと落ちない気持ち悪さはいつまでも続く。。
原子時計も物理現象である。
原子の周波数が変化したことを観測したとして、それが時間そのものの変化なのか、それとも原子の物理的な状態に影響する何らかの要因なのか。

あらゆる時計に共通して影響する未知の要因が存在しないことまで、実験だけで証明できるのだろうか。

この辺りで、そもそも私程度の物理学知識では理解できない領域になってきている気がしてきます。

6.「時間そのもの」を測ることはできるのか

そもそも、時間ってなに。ドラえもんって僕たちにとってなんなの。
時計の針が動く。
振り子が揺れる。
水晶が振動する。
原子が特定の周波数で遷移する。

これらはすべて、物理的な現象で、たまに時計が神の禁忌に触れた道具だと感じることもあります。
私たちは、世界ができたときから永遠と存在していたこの次元を、ただの繰り返しで数えることで時間を測定しているのです。

つまり時間を測るためには、何らかの物理現象を利用する必要があります。
時計が示す時間と、時計とは独立して存在する時間そのものを、どうやって区別するのか。

宇宙船の時計が地上の時計より少ない回数を刻んだとします。

そのとき、

「宇宙船の時計の物理過程が遅くなった」

という説明と、

「宇宙船で経過した時間が短かった」

という説明は、観測結果だけから区別できんでしょう。
もし、宇宙船に搭載されたあらゆる物理現象が地上と同じ比率で変化し、化学反応も、原子の振動も、心臓の拍動も、時計の針の動きも、すべて同じように変化したとするなら、「ああ時間が変わった」でいいです。

時間を測るための物理現象を取り除いてしまえば、測定そのものが成立しなくなるが、物理現象を使っている間はいつまでも納得できない気がする。

7.時間は空間と同じような次元なのか

相対性理論の大きな特徴は、時間と空間を別々のものとして扱わず、時空という一つの構造として扱うことにあります。

私たちは普段、空間を三次元、時間を一つの次元として考えています。
前後、左右、上下という三つの空間的な方向に加えて、過去から未来へという時間的な方向がありますが、空間と時間は同じ性質を持っているわけではありません。

相対性理論では、時空の距離を表す際に、空間の成分と時間の成分は異なる符号を定義しており、
平坦な時空では、光速度を (c) とすると、時空間隔は次のように表されています。

[ds^2=-c^2dt^2+dx^2+dy^2+dz^2]

この式が示しているのは、時間と空間が一つの数学的構造に組み込まれているということです。
なんかタイムマシンができる一歩前の計算みたい。

そして、観測者の運動状態によって、時間と空間の座標の割り振り方は変わという、元の問題に戻りますが、
同時に起きたと考えられる二つの出来事が、別の運動状態の観測者にとっては同時ではなくなることもあるという考え方。
これが同時性の相対性です。ここは、相対性理論の非常に重要な部分であり、私が意味わからんところでもある。

単に時計が遅くなるという話ではなく、そもそも、異なる場所で起きる出来事を、全員が同じ時間軸に沿って並べられるという前提が崩れますね。
ニュートン力学では、宇宙のどこでも共通の時間が流れているという考え方が基本にあり、あきらか理解しやすい。
それに対して相対性理論では、すべての観測者に共通する一つの時間を前提にしない。
これは、世界の見方そのものの転換があるのでは。
これを「時間が空間とまったく同じものになった」と理解するのも正確ではないし、そういう言い方をしてしまうとなんだか一気に哲学論に飛びすぎる気さえします。

8.固有時という考え方

相対性理論には固有時という概念があります。
ある物体と一緒に動く時計が、その物体の運動経路に沿って実際に刻む時間のことで、例えば、宇宙船が地球を出発し、遠くまで移動して、再び地球に戻ってくるとします。
地球に残った人と宇宙船に乗った人は、同じ出発地点と到着地点を共有しますが、それぞれが通った時空上の経路は異なります。

相対性理論では、その経路によって固有時が異なることがあるというものです。
この違いを説明するために、双子のパラドックスがよく使われます。

一人は地球に残り、もう一人は高速の宇宙船で遠くまで移動して戻ってくる
再会したとき、宇宙船に乗っていた人の方が若い。

この問題では、二人の立場は完全に対称ではない。
宇宙船側は途中で進行方向を変え、地球に戻るために運動状態を変化させる。二人が通った時空上の経路が異なるため、固有時にも差が生じる。

ここで重要なのは、固有時は単に「外から見た時計の遅れ」ではないということ。
それぞれの時計が自分の経路に沿って刻む時間であり、再会したときに比較できる量でしかないはずです。

相対論の数式では、固有時は時空の計量と経路から計算される。
特殊相対論の平坦な時空で、速度が一定なら、

[d\tau=dt\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}}]

となる。

この式は、ある観測者の座標時間 (dt) と、運動する時計が刻む固有時 (d\tau) の関係を示しています。
ここで、加速度は式に直接現れない。ただし、速度が変化する場合には、その瞬間ごとの速度を使って積分することになる。ようは、加速度がある経路であっても、理想的な時計の固有時は、その経路に沿った速度の履歴によって決まる。

ただし、これは相対論の数学的な枠組みの中での説明です。
この式が成立することと、加速度による未知の物理的影響が現実に存在しないことを、実験によって完全に証明したことは同じではありません。

9.科学は、すべての別の説明を否定してから理論を採用するのか

そんなこんなで、相対性理論を支持する実験結果が多数あることは理解しました。

ミュー粒子の寿命、航空機に搭載した原子時計、GPS衛星の時計、異なる高度に置いた原子時計など、さまざまな実験や技術的な現象が相対論の予測と一致しているということです。

でもこれ、だからといって、相対性理論が成立するでいいの?
その結果を生み出す可能性のある別の原因を、どこまで排除できているのかを知りたい。

加速度の影響ではないのか。
遠心力や回転運動による影響ではないのか。
時計の内部機構に生じた変化ではないのか。
重力や放射線、温度、電磁場などの影響ではないのか。

可能性を一つずつ検討して、それらでは説明できないことを示したうえで、時間の差という結論に至っているなら理解しますが、それを理解できないままでは私は自分の人生の変化点の空想を進めることができません。

でもまあ、考えてみれば、科学はあらゆる可能性を一つ残らず否定してから理論を採用するものではないですね。
どれだけ実験を重ねても、まだ知られていない現象が存在する可能性は残る。
科学は、そうした不確実性を抱えながら、観測結果を最もよく説明し、予測にも成功する理論を構築していくものかもしれません。
そして、その理論も新しい観測によって修正される可能性を持っている。

これは科学の弱点というより、科学の性質かもしれません。

でも、その対象が時間とか時空とかってなってくると、一気に確かめないと不正確だろうと感じてしまう自分がいることも事実です。単なる物理現象による修正ではないからです。

なので、両者を同じ確からしさで扱うこともできません。

とはいえ、現時点での最も強い説明があるのに世界のあらゆる可能性を永久に閉じることもおかしな話だ。

10.物理学が哲学に接続する場所

物理学は、自然現象を数式によって記述し、観測や実験によって検証する学問です。
一方、哲学は、そもそも何が存在するのか、私たちは何を知ることができるのか、認識と現実はどう関係するのか、といった問いを扱うことが多いです。

両者は異なる領域のようで、境界が完全に分かれているわけではないと思っています。
むしろ、ものすごく近い存在だと私は前々から感じています。

特に時間というテーマでは、その境界が曖昧になりやすいです。

時間とは何なのか。過去、現在、未来は、本当に異なる存在の仕方をしているのか。
相対性理論によって、少なくとも物理学における時間の理解は大きく変わったようです。
絶対的な時間が宇宙全体で一様に流れているというニュートン的な考え方は、相対論の枠組みでは成立しません。
観測者の運動状態や重力環境によって、時計が刻む時間は異なる。ただ、日常の速度ではそれが影響するレベルではないだけの話だ。

また、遠く離れた場所で起きる出来事の同時性も、観測者によって異なる。
このような結果も、私たちの日常的な時間感覚とは大きく異なるだけ。

もちろん、主観的な時間感覚が変化することと、物理的な時間の進み方が変化することは別の問題です。退屈な授業は長く感じるとか。このブログの内容が面白すぎて速攻で読み切ってしまうとか。

でも、人間が時間を考えるとき、両者を完全に切り離すことも難しい気もします。
時計を見て時間を知る一方で、自分の意識の中でも時間を経験しているからです。

11.クロノ・トリガーが描く時間

クロノ・トリガーに戻ります。

このゲームでは、過去に起きた出来事を変えることで、未来の世界が変化します。
これは、現在が世界の土台であり、未来の可能性を形作っているということです。
ゲームの中では、時間を移動することによって、過去と未来の因果関係に直接介入できます。

しかし、現実の私たちは、過去に戻ることができません。いまのところ。
過去を変えることもできない。いまのところ。

できるのは、過去に起きた出来事を現在からどう理解し直すか、そして、その理解をもとに未来の行動を変えることだけです。
この点は、私自身が過去と向き合ってきた経験とも重なります。

自分の中に残っていた過去の感覚、ACの問題を解決していく過程で、過去の出来事の意味が少しずつ変わっていくこともありました。理解の再整理、再取得です。

出来事そのものは変わりません。しかし、その出来事を現在の自分がどう受け取るかは変えれるかもしれません。
以前は、自分を縛るものとしてしか見られなかった過去が、別の意味を持ち始めることがあります。自分の認識が変化したということです。時間の変化では、当然ない。

それでも、その変化によって、過去と現在の関係は確かに変わりますね。
この感覚は、物理学でいう時間とは異なるが、時間について考えるうえで興味深い気もします。時間は、単に時計が刻む数字だけではないという意味合いが同じだからです。

少なくとも、人間にとっての時間は、記憶や認識、因果関係と深く結びついているはず。

『クロノ・トリガー』が面白いのは、時間移動という設定を使いながら、過去と未来のつながりを物語として体験させてくれるところにあるのだと思います。

12.相対性理論を信じるか、信じないか

今回、私は相対性理論について、何度も同じ疑問を投げかけました。
結果、理解できませんでした。説明求めます。
現在までの実験結果を考えれば、相対性理論は非常に強い理論であることはまあいいのですが、

自分がそれを理解するためには、単に「正しいとされているから」と受け入れるのはいやです。
何が実験で確かめられ、何が理論上の前提であり、何が哲学的な解釈なのかを区別したい。

今回の議論で、私がまだ納得できていない部分は大量に残っています。
特に、加速度の影響を独立に切り分けた実験については、さらに検討する余地があるのでは。

少なくとも、ここまで考えてきたことで、相対性理論の問題が単なる物理学の公式の話ではないことは分かった。

それは、私たちが世界をどう認識しているのか、何を現実と呼ぶのか、そして人間がどこまで世界を理解できるのかという問題につながっていきます。

相対性理論によって、時間と空間の関係を非常に精密に記述できるようになったのは非常に面白いです。ただ、今の段階では私にはクロノトリガーのようにも見える。

物理学が扱う時間と、人間が経験する時間。

時計が刻む時間と、時間そのものという概念。

それらの関係を考えると、物理学は自然と哲学に接続していきます。

13.時間という問いの先に

今回、久しぶりに『クロノ・トリガー』をやり直したことから始まった時間についての思索は、思いがけず物理学と哲学の境界まで進んでいき、変な時間潰しになりましたが、いつもこういうことを考えています。

相対性理論について、私はまだまったく理解できていません。
調べるほどに、物理学の理論が持つ精緻さと、実験によって確認できることの限界の両方が見えてきます。

時間の進み方が変わるという現象は、相対論によって非常にうまく説明されている。
それを支持する実験的な証拠も数多く存在する。
一方で、時計や物理過程の変化と、時間そのものの変化をどう区別するのかという問いは、簡単には消えませんし、うまく説明しすぎているからこそ時間のせいにしてるのではと思ってしまう。

そして、その問いの先には、時間とは何か、現実とは何か、人間は何を知ることができるのかという哲学的な問題があります。
これを認めてしまうと、タイムスリップができてしまう気がするんです。

物事が何を意味するのかを考えることは、私たち自身に残されています。

過去は変えられない。本当か?
しかし、過去の意味は変わることがある。それは本当だ。
未来はまだ存在しないように感じられる。本当か?
現在の選択によって、その姿は少しずつ形作られていく。これも本当だ。

時計が刻む時間と、人間が経験する時間は同じではないがそれでも私たちはその両方を「時間」と呼んでいる。そもそも時間について考えるということは、宇宙の仕組みを調べることに匹敵することで、その時に持っていた人類最強の武器である物理学を使ったがために、こんなことになってしまっているのかもしれません。

相対性理論が正しいかどうかという問いは置いといて、一番今回妄想したかったのは、
自分の人生のどのポイントに戻れば、一番クリティカルに自分を変えることができたのか考えることです。
これは、意味がないようで、実は意味があるような気がしています。
その先の未来を、映画のように見たい気もするし、タイムパラドックスで今が消えたとしても、体験したい気さえしてきます。

今のところ、私にはまだ答えがない。
ただ、分からないことを分からないままにしておくことも、理解に向かう一つの姿勢なのかもしれません。