今日この頃の日本、ギャップ商法

こんにちは。世界樹の人です。
元々ブランド化しようとしていたところから色々とガラッと変わったので、店の名前も「世界樹茶房」に変えようかと本気で検討中です。
なぜなら、中国書道の先生が世界樹茶房という印鑑をつくってプレゼントしてくださることになったのです。
茶業といえば、ハンコ。それを証明する印鑑を茶葉の袋であったり、あちこちに押すものなのです。

私もそろそろほしいと思っていたところでつくってもらえることになり、感無量です。
まあ起業して1期2期程度でブランド化がうまくいくわけないし、柔軟に方向転換しながらいろんな事業進めていくのも、なんだか面白いですな。

さて、今日話したいことは、最近の日本、どこかおかしい──現場で起きている“日本らしさの崩れ”についてです。

某元奈良県議員さんのせいで中国に戻れなくなり、日本の平和な生活も綺麗なトイレも素晴らしいなあと感じていた毎日ですが、最近日本の街で生活しているとどうにも説明しづらい違和感を覚えることが増えました。
特に商売、店舗に類するところでです。
それは単なる「外国人が増えた」とか「人手不足だから仕方ない」といった表面的な話ではありません。
もっと深いところで、“日本らしさを支えていた構造そのものが変わってしまった” という感覚です。

たとえばこの前、SNSで「こだわりの店主が作る本格串焼き食べ放題」と紹介されていた店に行ってみると、実際には店主の姿はなく、外国人スタッフがワンオペしていました。味は美味かったですが、こういうのってこだわり職人ありきの景色を求めていただけに、なんだかなあという気分になりました。
もちろんそれ自体は悪いことではありませんが、ブランドと実態が一致していないというズレが生まれていました。

また、SNSでは綺麗なお姉さんが笑顔で施術している写真で、オープン記念60分2000円で整体と書かれているところにDMを送ると、すぐさま「別スタッフで対応します!」ときた。
私は女性に施術されたかったわけではなく、ただ今にも砕けそうなヒビだらけのガラスの腰を施術してもらいたかっただけなので、予約して行ってきましたが、内容も2000円の価値があるかどうか、、というものでした。
もちろんおっさんでした。

SNSマーケティングが過剰演出になり、広告と現実の乖離が当たり前になっています。

さらに建設現場では、大阪で土管が飛び出すマリオのような施工現場も話題になりましたね。あれ私の経営する茶館の近くです。かつて日本の建設業は「丁寧・正確・安全」の代名詞だったはずですが、今は人手不足と高齢化、外国人技能実習生への依存もあり、あちこちでこのようなことが起きています。
品質管理そのものが維持できなくなってきているように感じます。

こうした現象を一つひとつ見るとバラバラに見えますが、実はすべて同じ根っこにつながっています。
当たり前ですが、日本らしさは文化ではなく、人材で支えられていたはずです。

日本の強みは長い間、

  • 丁寧
  • 誠実
  • 正確
  • 品質第一
  • 嘘をつかない

こうした価値観を持つ職人や商人が大量にいたことで成立していました。

しかし今は、その価値観を持つ人材が減り、代わりに 「効率優先」「SNS優先」「見せ方優先」 の経営が増えている。つまり、日本の文化が変わったのではなく、文化を支える“人”が減ったということです。

外国人労働者の増加は問題ではない。問題は“管理の欠如”。日本らしくあろうとする”人間の欠如”。
日本ブランドと現実の日本がズレ始めている。
これを、日本が壊れたと表現するか?それとも社会構造の変化というか?


私は本質から乖離しすぎたものや、本質への理解を妨げるようなノイズ的情報を毛嫌いします。
写真なんか汚くても、美味いならなんでもいいです。
逆に、美味そうな写真は、味に自信がないから?インスタ映えを狙ってるだけ?というノイズ的思考が発生してしまい、本当は美味しいという情報が濁って映るので嫌いです。
少し極端ですが、日本の職人たちはそもそもこうあったのではないでしょうか。
インスタ映え文化が、過剰演出という無骨な日本文化には合わない諸悪の根源的である気さえしてしまいます。

私も、今一度問いかけられているような気がします。
日本で日本人の自分がどうあるべきか、どうありたいか。
決して消せない国籍という情報は、書類上は変更できてもルーツは変えれない。
私はカタカナの似合うバリバリエンターテイナーよりも、ひとつの事柄を極めそこから世界の真髄までを見通すような無骨な探究者でありたいです。