あの熱い風に焦がれて

こんにちは。世界樹の人です。
暑くなってまいりました。とても気持ちがいいです。
半袖で乗りはじめたバイクも、海辺の散歩の生温い夜風も、近付く夏を感じる素晴らしい瞬間です。
自然を感じながらのんびりと生きていきたいものです。なぜ世の中はこうも単純ではないのか。

そろそろ西安と雲南に向けて出発です。6月5日から一週間です。
先日西安の王社長から、
「最近日本人のお客さんお茶買いに来てくれるアルよ!お客さんは皆アンタのこと知てたネ。どこでうちの宣伝したアルか」
とwechatでメッセージがきました。
うちの常連さんは西安に行っていないと思うので、僕のブログを見てくれた方だと思うのですが、僕が紹介しているお茶屋さんに行かれる場合は僕にメッセージいただけると嬉しいです^^
…ただ嬉しいだけですが。。。
事前に僕のお客さんが行くと言えばちょっとは安くしてくれると思います。
(どうでもいいですが、中国人がアルアル言っている漫画が多い理由は、日本人があるある言っているからだと思います。日本語の「ある」を日本人がよく使うから、中国人が日本人の真似をしてアルを使っているのだと勝手に思っています)

私は元技術職で、設計や積算、予算管理の数字に追われる生活を12年間ほど送っておりました。
長すぎる組織生活は、豊かな生き方を社会の常識という鎖で雁字搦めにし、結果的にそれらの時間は人生の本当の目標を蝕んでいく元凶になりました。
これは私自身の心の弱さに起因するもので、明確に強く人生でやりたいことを捉えることができる人もいるでしょう。
人は皆が皆、強く社会では生きられません。生きられない人は強くあり続ける努力を未来永劫し続けることになるのです。
こういうことに気付いた、もしくは感じてしまった人間が田舎暮らしを求めて山に還るのだと思います。

さて今日も私のブログの機能を最大限に生かす練習も兼ねて投稿しております。
調子に乗って色んな機能を使っておりますのでご了承ください( ´∀`)
目指せ一級ブロガー!

①君たちはどう生きるk(ry

本日の議題は人生に関することです。
サラリーマンでめきめき働いている人も、
30手前になって慌ててワーホリ行く人も、
心を病んでしまい何もできず寝込んでしまっている人も、
学生で将来を不安に感じつつ遊んでいる人も、
全ての人が立ち止まってこれからどう生きていくか考えていく瞬間はきっとあるでしょう。
皆が皆、後悔などしたくないはず。
しかし、将来を考えて恐れを抱かず何にでも気軽に挑戦できる人など、よっぽど向こう見ずか宝くじが当たった人くらいかもしれません。
私もやりたいことだけやっていいなら、今すぐ仕事をやめてパラグライダーの資格を取って、世界中を旅して、雲南省に家を買いたいです。

死んでしまった人間は微生物に分解されることもなく、強制的に火で焼かれ灰となります。
脳が消えた先には思考も何もなく、ただ存在ごとこの世から消えます。
この世に何を成したか、何を得たか、数十年長く生きたか、等等、こんなことは世界にとって対した意味を持ちません。
一人の人間が会社員として一生を全うしようが、ふらふら生きようが、大きな流れには関係がないのです。
ではなぜこのような悩みがでてしまうのか。私には分かりません。
ただやりたいことをして何の意味がなくても公開しないよう生きたいと思うだけ。
それは一個人の意思でしかなく、始皇帝レベルの人間でない限り意味などないでしょう。

世界にとっては無意味なことであるからこそ、個人はもっと自由に生きていいのかもしれません。
お金を得たい、家族を得たい、名声を得たい。明確な目標は何でしょうか。
整理してもブレることは往々にしてあります。一緒に考えましょう。

家族、、、ちょっと面倒ですが、最後に一人で死ぬのはいやですね。
お金、、、得るためにはストレスもあります。あまり苦労してストレスは抱えたくないな。
名声、、、めんどいわ、全然いらん。

②人生に必要なもの

僕はよく、人生に必要なものは3つだけと公言しています。

  • お茶…これはやはり僕にとっては必要なものです。技術者というのは原理主義者です。お茶やコーヒーというのはわりと原理主義者が好むものではないかと考えています。その品質に偶然はなく、ストーリーや製法で全てが決まるからです。色々と思考を巡らせるためにも必要なものです。今は水仙を飲んでます。
  • バイク…自然を感じるために、まったりと機械の鼓動を感じるために、移動のために、いいものでなくていいので一台は欲しいですね。
  • 羊肉串…実はこれが一番難しい気がしています。僕の世界で一番好きな食べ物です。中国にいないと食べれない・・・ということもありません。大阪の上上签に行けば中国と同じ味で食べることができます。もちろんですが、これが食べれない国なら行きたくありません。なら日本でも中国でもいいはずです。しょっちゅう食べれるのは当然中国ですが、中国≧日本、くらいの定義かもしれません。

私の場合、これを除けば他にあるかなあ・・・と真剣に思います。
ないのなら、あとは優先順位の設定と、他を捨て去る覚悟のみです。
しかし、この3つを優先するばかり、他を捨て去った結果幸せになれるのでしょうか。

なれるはずです。

なれないなら、この3つの設定が間違っているのでしょう。
あれは?これは?と考えながら、3つか5つ、設定してみましょう。

③後悔の連鎖の先にある満足な結末

後悔がない人は、他人と自分を比較することをしない人だと思います。
比較する人は、どうしても周りの幸せや得たものを羨ましく思ってしまい、どのような状況でも後悔をします。
僕はアダルトチルドレンで愛着障害です。ADHDもあるかもしれませんが、これを自発的に公言することはあまりしたくありませんが、前者二つを持つ人間は凄まじいほどに自己肯定感がなく、常に他人と自分を比較するのです。この考えをやめたくて、あらゆる自己啓発本、動画、人の話などを聞きました。

しかしそれら全てに効果は1ピコグラムもありませんでした。
成功体験を積み重ねてきたつもりですが、それでも無理です。自分はくそむし以下です。

全ては自己肯定感を持った人間に育ち成長することができるか、これが後悔せずにすむ唯一無二の方法ですが、今ここまで読んでくださっている方は既に成長しきった方が多いと思います。
ぜひ僕に後悔の連鎖を断ち切るために、大人の自己肯定感のあげ方を教えていただきたいです。

ひとつ、僕は乗り越えたことがあります。これは唯一自分の自信になっています。
それは中国語です。
僕は聴覚情報処理障害があり、同時に2つの音を聞き取ることができず、細かな音の違いを判別することができません。MRIで脳と耳の検査をして認定されています。
中国語の発音とリスニングについては、10年間勉強しても素人よりできませんでした。
一般的な人間が一つの語学を習得するのかかる時間は3000時間から5000時間と言われていますが、私は倍以上かけて今のレベルに達しました。今もペラペラとは程遠いと思っています。
同じ病気を持った中国人も中国語を喋っていると考えると、自分でも不可能ではないと考え続け、”話す”という生活上当たり前の行為を難しく考えず毎日勉強ではなく行為として友達やボイスルームで5時間も6時間も話すことにしたのです。
今は一人で中国に行ってお茶の話であれば商談もできます。(多分他の話は無理、あと雲南弁は知らんみんな普通語喋って)

自己肯定感も同じこと。ただ一つの発想の転換で乗り越えることができるのかもしれません。


さて、ここまで人生観や考え方について書きたいことを羅列しました。
めちゃくちゃだと感じたらちょっとづつ修正するかもしれません。

こういう考えを巡らせる時にも、茶は私の口から全身を駆け巡り、精神を研ぎ澄ませるために地球の鼓動を心に伝えてくれます。